活動記録

にぎやかな集い2008

2008年5月11日。

祝!「竹内浩三2008_3にぎやかな集い2008」

 伊勢市の赤心門寺の本堂ホールにて、

 大盛況に終わりました。

今日の中日新聞(三重版)によると、130人も集まったとか。

藤田明先生の「伊勢文学」をめぐる講話、松島こうさんらの浩三さんのとりもつご縁の広がりのお話、地元伊勢青年劇場の方々による詩の朗読(伊勢弁がたいそう好評でした。また聴きたいです。)、

私も、ちょこっと歌わせていただきました。「勲章」と「三つ星さん」と。

最後は「五月のように」の群読という趣向で、これもよかったです。

会場からの質問で、「筑波日記に、姉から香水が送られてきたが何に使うんだろう、と書かれていますが、どうして送ったのですか」と。

その姉本人である松島こうさん(90歳)いわく

「あの子は洗濯をせずにいつも臭い衣類を持ち帰って来ていたので、軍隊でもそうではないかと思って、、、」と。

笑ってしまいました。ヨーロッパの貴族みたいですなぁ。粋で。香水で匂いを消す。浩三さんには理解できなかったのですね。

筑波日記に「いつから洗濯をしないのだ」と上官にとがめられ、「今年になってからであります!」「さっそくせい!」といって雨降りの中でせんたくをする話がでてくるのですけど、それはうそで「実は秋からしていないのだ」と書いてあるのです。うわ。

このくだりが好きです。いつも朗読に入れています。

世話人の方々、本当にお疲れさまでした!

開催にあたって私もかげながら念力使った?ので、にぎやかになってうれしかったです。いろんな意味で・・・。

次は、もう少し浩三さんを知らなかった人や若い人々にも来てもらえるといいのですが。

朗読コンテストとかするといいよねぇ、競争が目的でなくて、参加する人が楽しくなるような。って毎年この会を開くのに尽力してこられた森節子さんと、よく話していました。

これからの世代につないでいくこと。

それは病に倒れられた森さんの分まで、私たちがやっていければなぁと

思っています。

上の写真は、集いの様子です。われらがホープ、作家・稲泉連さんのスピーチ。

2008_4 左は二次会で。松島こうさんを囲んで。伊勢では、ひとりひとりのお膳がでてくるのにびっくり! 黒澤映画みたい、と感激してしまいましたよ。。。

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メディア掲載

2000年8月30日 夕刊三重1面トップ「竹内浩三さんの詩に曲 あす神奈川の女性が演奏と歌 姉の松島さん(日野町)に披露」

2000年8月31日 毎日新聞三重版「竹内浩三さんの作品歌い上げる 横浜の劇団代表と作曲家   実姉にささげる演奏会 31日に松阪で開催」

2000年9月1日  夕刊三重「松島さんや市民ら65人 竹内浩三さんの詩コンサート」

2000年9月17日 朝日新聞 「天声人語」

   「竹内浩三をめぐる二つの催しが、この夏、生まれ故郷の三重県伊勢地方であった。・・・」

2000年11月11日 朝日新聞三重県伊賀版「戦没詩人・竹内浩三をうたう 横浜の2女性、青山で演奏会 歌・詩の朗読・ラジオ録音」 

2001年5月13日 朝日新聞神奈川県版「23歳戦死の詩人 自由な魂忘れない 竹内浩三の作品歌い語る 誕生日に横須賀で」

2001年6月10日 朝日新聞三重版「23歳で戦死、伊勢の詩人竹内浩三 作品に曲つけ演奏会」

2001年6月15日  朝日新聞三重版「平和への願いこめて詩朗読 津で」

2001年6月15日  毎日新聞三重版「詩人・竹内浩三の“骨のうたう” 戦争のあわれ 歌に」

2001年7月20日  朝日新聞横浜版「戦死詩人竹内浩三 あす中区で魅力を再現」

2001年7月     神奈川新聞「“骨のうたう”音楽会 21日、横浜・情文ホール」

2001年8月15日  I女のしんぶん「“骨のうたう”音楽会 歌をとどける旅2001」

2004年8月10日 朝日新聞東京版「戦中の鋭き詩 歌に乗せ響け ファンらがライブ 15日西荻窪」

2005年8月13日  NHKラジオ「あさいちばん」で歌が放送される

2006年8月16日 中日新聞伊勢志摩版「竹内浩三の魅力届けたい 詩歌い朗読の会」

2006年8月21日 朝日新聞名古屋版・竹内浩三特集(連載第2回)「弟の“叫び”問い60年」

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みんなの声~心のやりとり

■2000年

♪よばれもしないのに押しかけて「歌をきいていただく」という活動がスタートした。8月31日の会はふしぎな空間だった。今夜なぜここに来たのか、みんながいつのまにか自分を語っていた。浩三さんのお姉さんをはじめさまざまな人と出会い、人生の大先輩の方々の気をいただいて、私の歌づくり本能が回転しだした。歌をとどける旅のはじまり。。最初の企画者である友人の五月女ナオミさんに感謝する。11月に招待された三重県高校国語科研究会のイベントでは、何年たってもずっとこの活動を支えてくださっている伊勢市の森節子さんに出会った。

8.31三重県松阪市「“骨のうたう”をきいていただく会」を終えて

・本当に感激の一夜でございました。すぐにもお手紙をと思いながら、言葉も書けぬ思いでした。あのお声がいまも響いてきます。それにまた、鳩サブレ、私の大好物、うれしくいただきました。当夜の反応もすばらしいもので、お電話で感激のお声を数名からいただき、夕刊三重も65名(の参加)と取り上げてをります。(松島こう子)

・歌や朗読に、胸がしみる夕べでした。会を開いてくださってありがとう。

     当日見慣れない人がいすを並べていると思ったら、歌手本人とは・・・。マネージャーもなくこのような活動をよくなさいます。

     いまどき珍しい心の資本家。(!と思ってよくみたら「音楽家」だった。きゃー、達筆で・・・)

11.10

三重県青山町

・人口1万人ほどの小さな町のホールで、あのような心通じ合うコンサートをしてくださって感激でした。今思い出しても心に灯がともったようなきもちになります。ことばを声に出して、音にのせてあらわすことってこんなにすてきなことなんですね。(農業高校の生徒さんを引率してきてくれた先生のHさん。この日高校の野菜部(!)で生徒さんがつくった魔法のようにおいしいケチャップをいただきました

・浩三さんのお姉さんのラジオ出演の声がとても心にしみた。

(以下、高校生の感想)

     申し訳ないが、詩集を部屋で一人で読むほうがいい。(!いまに見ていろと思ったわたくし

     わたしは戦争についての学習とか重々しくてキライだ。まじで苦しい。でも、竹内姉が生きておられたのが、すごいびっくりした(会場からあいさつなさった)。詩にはリアルさがあった。

     2001年

♪この年は5月から8月までなんと7公演の旅をした。地元の横浜でも開催したところ、職場の同僚たちや親戚のおばさん、幼馴染まで動員?され、200人の会場は笑いにあふれた。

三重県伊勢
市の浩三さんの母校の高校のホールでも、同窓会の後援を得、浩三さんゆかりの方々のあたたかい空気の中で聴いていただくことができた。浩三さんの大親友だった中井利亮さんもいらしてくれ、翌日は二見海岸の中井さん宅をたずねていろいろお話をうかがったのも貴重な思い出だ。中井さんは翌年亡くなられた。奥さんで歌人の中井信子さんはたいへんなユーモア人で、今でもときどきお線香をあげにおしゃべりをしに寄らせていただいている。

一連の旅程のなかで応援してくださる方が増えていった。私は、“歌を作りながらビールばかり飲んでもいられまい”という気になってきた。浩三さんの歌は10曲に増えた。

三重県
の会場での感想より

     心にしみとおる素敵なコンサートでした。竹内浩三さんのたましいが伝わってきました。

     戦争を知らない子どもたちにも、学校などを回って、こんな語りや歌をきかせてほしい。

     ひょんと死ぬるや・・・。重いいのちがいともかんたんに消えてしまう戦争というもの。忘れないことが生きている者の使命でしょうか。

     中国大陸で8年間戦争を体験した父が一切語らなかった、その一端を(歌の後の)交流会で聞いた思いでした。

     父は昭和19年、戦死しました。くやしいです。が、今日は心がいやされました。

     「生きることは楽しいね」(“三つ星さん”の詩)と感じることができた。

     反戦の歌かと思っていたら、戦争に行ったひとりの青年の心情を歌った心温まるコンサートで、怒りより切ない気持ちになりました。とてもよかった。

     23歳の若さで亡くなられた竹内さんの姉君が会場に元気な姿を見せられ、弟さんの歌をみなさんに聴いていただく喜びを語られた。とても品のよい、きれいな方だ。

横浜会場での感想より

     “三つ星さん”の楽譜をありがとう。ピアノで弾いていたら子どもが「あ、みつぼしさんのうただー」と寄ってきました。なんか、メロディーと詩がすごくマッチしているよね。泣き笑いたくなるような気持ちの歌。(同僚より)

     コンサートお疲れ様でした。しっとりと手作りのいい時間をすごしました。竹内浩三という人物が半世紀以上前に、ときにまじめに、ときにふまじめに生きて死んだ。その気持ちを21世紀の今、物好きな女性があちこちに伝え歩いていて、物好きな観客が聞きに行き、さまざまな思いをはせる。とてもすてきなことですね。

浩三のユーモアセンスやとぼけた味わいはとても気に入っています。あの時代の生身の息遣いというようなものを感じ、戦争で死んでいった人々をいとおしく、身近に思います。(何度も大きな記事を書いてくれた、朝日新聞記者・上野創さん)

     2003年

一念発起し、声のレッスンを受け始めた。師匠は「五感の音楽家」の佐藤慶子さん。「自分の声を探すには年齢的にラストチャンス」といわれた。半年たってやっと人前で歌うのがこわくなくなり、思い切って西荻窪のライブハウス奇聞屋を借りた。松島新さんがスライドを映してくださった。器用な共演者・相馬正男さんはいつのまにか浩三さんの大写真パネルをつくってくれた。坂浦洋子さんの朗読とのコラボレーションは楽しかった。岩波現代文庫や藤原書店の編集者や、東京での浩三ファンの若者たちが小さな場に集まり、心のやりとりができた。私の中にまた小さな確実な灯りの種子がともった。

いただいた花束を抱えて、るんるんと家に帰ったら長女が「ママあんまりいい気にならないほうがいいよ」といった。次女は考案した“三つ星さん体操”をしていた。

     ライブの成功、ばんざーい。大きなホールとちがってライブハウスはとてもアットホームで交流ができてよかった。お客さんのひとりひとりが初対面でも親しみ感じるなあという感じでしたね。浩三好きな人には好感度高い人が多いですね。(森節子さん)

     こんなお金にもならないけれど自分たちの思いを寄せている空間があるのですね。

     小さな小さなライブハウスに40人ほどが集まった。子どもから老人まで、ことごとくよい顔をしていた。共通の友人を懐かしむような、そんなあたたかさがあった。互いの肩をくっつけながら、それぞれの想いを竹内の詩に乗せた。小園さんの笑顔の大きさには、だれをも励ます力があった。「三つ星さん」の詩が好きだという。

     浩三さんに想いを寄せる人たちにお会いできたこと、貴重な体験でした。岩波書店の方がおっしゃっていたように、私も浩三さんに恋心のようなものを抱いてしまうのです。小園さんが曲を作るのにも、そうですか?(いえ、私は自分の中に浩三さんと同質なものが流れているのを感じるのみです。そうとう変な人だと思います)

     「ぼくもいくさに征くのだけれど」の歌とピアノ、心の琴線にふれました。心熱くなるひとときでした。

     浩三さんの言葉は声に出すと響きがよいですね。「喋るように詩(手紙)を書いた」といわれていますが、コンサートを聴きながら、本当にその通りだと改めて思いました。フィリピン行きも含めて、取材のほうも佳境に入ってきたという感じです(稲泉連)

     バンマス(バンドマスター。うちでは小園さんをこう呼んでいる)は話芸も天下一品なのであった。私たちが気取りまくっていると、いきなり楽屋の幕を開け放って、その日までのことをドキュメントにして本人呵々としているのであった。おかげで女優を演じきるはずだった坂浦さんからは黄色い声が上がる。欲深い小園さんはいつか「歌だけ」でもみんなをうならせるにちがいない。楽しみにしている。バンマス、ガンバッテ。

(共演者・相馬正男さん)

秋には、なんとこのライブを録画したビデオが回りまわって

三重県
の高校の授業で使われていた。それを見た生徒さんから。

     「雨」という歌の「ざんござんごと雨がふる」というフレーズが耳についてはなれず、思わず口ずさんでいた。

     歌を聴いていて、竹内浩三の詩は音楽にぴったりで、まさに音楽によって私たちの心に熱く入ってくる感じがしました。浩三の詩は荷物で、音楽という列車に荷物を載せて、私たちの心という駅に荷物を持ってきてくれるのです。

     2004年

奇聞屋で2回目のライブを、昼夜2公演行った。ところが8/15という日は帰省する人も多く、集客できない。困っていたら朝日の上野創さんが稽古場に取材に来て、大きーな記事(写真)を書いてくれた。結果は完売。知らない方ばかり至近距離でみているので昼の部はあがってしまった。最前列のおじいさんが1曲聞いたら帰ってしまった。ああああ。。。道は遠し。

この年は文学座の俳優、田中明生さんに参加してもらうことができた。プロの方の作品に対する真摯な取り組み姿勢には脱帽した。「筑波日記」のダイジェストを作って、かけあいで朗読したり、歌も前年よりさらに増えたので二部構成にした結果、前半(じつは私はこのあたりの失恋の歌がいちばん好き)と後半の作品群がそれぞれ際立って、「後半はまるで映画をみているようでした」という感想もいただいた。相馬正男さんのハモニカや二胡もさえている。

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     Imgp1323 黒澤プロダクションの野上照代さん(写真)が昼の部で、一緒に映画の仕事をしようと浩三さんの帰りを待ちわびていたというお話をされたのには感激でした。一流の方は気さくで、すてきですね。(森節子さん)

     小5の息子の夏休みの宿題に役立てばと戦争関連の記事を切り抜いていたところ、朝日新聞でこの会を知りました。竹内浩三さんの素朴な人柄にとても惹かれました。戦死した詩人の「骨の詩」を聞きに行くのだからやはり服は黒になどと考えていたので、最初の「三つ星さん」や「金がきたら」を聞き、びっくりして椅子から転げ落ちそうになりました。そこから浩三ワールドなのか小園ワールドなのか、すっかり惹きこまれ・・・。出口で本を買いました。私の中の<骨の声を聞く旅>は出発したばかりです。

     昨年はファンクラブ祭りみたいな感じもありましたが、今年は満員御礼、初めて聴く方々が多く、公演になっていました。素敵な場をいっそう大きくしてくれました。といっても、発信する側と受け取る側と思いはひとつで、すてきなライブだったと思います。

     2005年

26歳の稲泉連さんが『ぼくもいくさに征くのだけれど 竹内浩三の詩と死』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。帝国ホテルで開かれた受賞パーティには

三重県
からも松島さんをはじめみなさんが参加し、私たちもうれしくて大騒ぎした。「受賞のことば」より。「残された言葉は、彼に愛情を寄せる人たちの手から手へと受け渡されてきました。そのプロセスがあって初めて、1篇の詩が時代を超え自分のもとに届いた。だからこそ竹内浩三について書くことは、僕にとって言葉を伝えることや“表現すること”の大切さを学んでいく体験でもありました」と。

その稲泉さんにトークをしてもらって、この年の会は大いに締まった。また、朗読には坂浦洋子さん(演出でも力を発揮!)のほか、西川亘さんを迎えた。西川さんの朗読は浩三さんを地でいくようで、うなってしまった。NHKラジオで取り上げてくださった記者の佐治真規子さんもいつしか浩三ワールドにはまっており、にぎやかな夏だった。

     何も知らないで伺いましたが、会が進むにつれ、浩三さんの愛と情感がしみじみ伝わってきました。パンフレット裏の浩三さんの文と絵、サイコーですね。楽しい会でした。

     去年より惹き込まれました。西川亘さんの朗読は響きに訴求力がありました。

     前半は「麦」、後半は「南からの種子」と「骨のうたう」が印象的。今年はエンターテインメント性が高まっていた気がして楽しめました!  口笛も朗読も多彩な楽器もすてき。

     「骨のうたう」しか知らなくて来てしまった。けれど、第一部で天真爛漫な竹内浩三を、第二部であれよあれよと戦争に巻き込まれていって、その中で切に生きたいと願った彼の姿が朗読と歌で浮き上がった。学費欲しさに兵となってイラク戦争に征くことになった米兵の姿とも重なって切なくなった。

     西川さんの朗読、口笛・・・よかったですね。最後のほうで軽く声を合わせて歌っていたのもよかったです。・・・そうそう、私もプログラム、いいなあと思いました。戦艦長門見学の一こまを独立して抜き出し、ひょうきんな取り合わせが秀逸でした。内側の漫画もどこからひっぱってきたの? と思うようなかわいさでした!

     楽しかったです。竹内さんは面白い人ですね。詩もよいけど、らくがきイラストもかわいくて。「三ツ星さん」は最初とラストに聴いたので、メロディをちょろっとおぼえてしまいました。

     稲泉さんの話を直接聞けたことで、あの本を彼と同年齢の娘にも読ませたいと思った。浩三さんのお姉さんの短歌、しみじみと胸にしみた。

     稲泉連さんとの対談、秀逸でした。また来年も楽しみにしています。

     構成が自然なのがいいです。しんどい詩が「骨」ですが、楽しい催しでした。連さんの話と後半の盛り上がり、皆さんの気の合いよう、気持ちよかった。

     NHKラジオでいたく感じた連れは、「こういうのはなかなか聞けないわね。何か温かくってよかったわ」でした。そう、うまいとかどうとかではなくて、何か人間の呼吸が聞こえる音楽会ではあったかなと、小生も内心思いました。今日二人、ファンが増えました。ご健闘を祈念!        

     とにかく感動しました、涙をこらえるのに、苦労しました。でも止まらなかった。。。今度ライブがある時は、ウチの母も連れて行きたいと思います。

     今年もまた、曲よし、ピアノ演奏よし、朗読よし、小園さんの軽妙なお話もよし。そして今回とくに構成がよいと思いました。稲泉連さんのお話も。竹内浩三の無垢なところと鋭い先見性の両面に胸が打たれました。乾杯!

     2006年

高校の体育館で、高校生の朗読とのコラボレーションを企画、実現し、意味合いが広がった。M先生の尽力のおかげだった。生徒たちはよく聴いていた。なにしろ終わってすぐ駆け寄ってきて朗読した子に「おまえ、まちごうとったぞ“生殖もしたかったの”いうたやろ。」という。正しくは“生殖もしなかったの”である(詩「冬に死す」)。わはは。授業で事前学習もされているのだ。すばらしい。そのあと、中学からも人権学習ということでよばれた。体育館がつづく。300人なんて、自前ではとても集められない人数だ。若い人たちにじゃんじゃん歌をとどけよう。

8/15には

伊勢市
で西川さん、相馬さんとの共演で行った。松島さんがお元気であいさつされ、地元の中学生(松下美智子先生の教え子たち)が「三つ星さん」を最後に歌ったのをたいへん喜んでくださった。場をつくるのは楽しい。全部で2時間半の欲張り企画だった。このときの録音を初めてCDにした。

蛇足だが、三重県産のあわび炊き込みご飯の素(1000円)、伊勢海老風味インスタントみそ汁はおいしい。

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(高校生の感想より)

     戦争に行かなければならないという恐怖と、自由へのあこがれを強く感じた。  

     少し変わった人だったんだな。

・ 戦争のせいで竹内さんのような未来ある若者の命がたくさんなくなったのかと思うと悲しい。これからも、こういう形で、次の世代の人へ続いていくといいと思います。  ・もっと詩を知りたい。

     竹内浩三さんの詩は、内容が真っ直ぐで、わかりやすくてすごく良いと思った。

     自分たちと歳もそんなに変わらないのに、いろんなことを考えているんだなあ。

     戦争中でも、自分の思いを表現していたというのはすごいと思う。生きることの喜びを、これらの詩によって、少しは感じることができた。

     自分のやりたいこともできずに、戦争に行かされた竹内さんは無念だったと思う。もっとやりたいことをどんどんできるような社会にしていかなければ、戦争していたときと何も変わらないと思った。

     詩とか絵を描くのが好きなんだなぁと思った。恋愛の詩…ってか、女の人がよく詩に出てきてて、あぁなんかひきずってるのかな、と思いました。「あきらめろと言うが」は切なくて、好きだと思った。

     歌の内容に共感を持つ部分がすごくあった。

     ピアノがとてもきれいだった。4人の生徒の朗読がひとつひとつ気持ちが入っていてすてきだった。(友達の)ふだんは見られない姿が見られてよかった。

     今までにない人権学習だった。

     弾き語りをしている人は楽しそうで、本当に竹内さんのことを好きなのだなあと思った。

     悲しいときも苦しいときでも詩のことを考えて、そう、彼は詩、歌が心から好きと思っていたんじゃないかな? 自分も、どんなときでも忘れない大切なものがほしいと思った。

ちなみに、「印象に残った歌や文」でベスト5は次のとおりです。

1位 「三つ星さん」79

2位 「金がきたら」53

3位 「骨のうたう」47

4位 「うたうたいは」26

5位 「雨」18

(6位に、生徒さん朗読の「筑波日記」15票、でした。)

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歌を届ける旅の記録2000-2007

1984年、竹内浩三全集が出版され、衝撃を受けて作曲した「骨のうたう」を新宿ロフト「反核コンサート」で発表

★2000年

8月 三重県松阪市中央公民館 竹内浩三さんの姉・松島こう子さんらに「“骨のうたう”をきいてい

ただく会」をひらく(企画・五月女ナオミ)。

11月 三重県青山町 三重県高等学校国語科研究会総会にて「竹内浩三詩集を歌う」

★2001年

6-8月「“骨のうたう”音楽会」として、三重県上野市、津市、名張市、伊勢市宇治山田高校(浩三さん

の母校)松阪市、横浜市横須賀市等で開催

★2002年

8月 神奈川県大和市平和コンサート

2003年

6月 伊勢市で講演「私たちのいのち、次世代のいのち~女性センターの現場から」と歌(三重県教職員組合伊勢支部女性部主催)

8月 東京西荻窪ライブハウス「奇聞屋」で「骨のうたう、歌と詩の会」を主催 朗読は坂浦洋子(TAC三原塾)

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津市でミニコンサート (三重県教職員組合主催)

12月 横浜市でピースコンサート (生活クラブ生協主催)

★2004年

5月 伊勢市のカフェ黒船 浩三さん誕生日の「にぎやかな夕べ」でミニコンサート

8月 東京西荻窪ライブハウス奇聞屋で第2回「骨のうたう、歌と詩の会」 朗読は田中明生(文学座)

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9月 神奈川県宮町のお寺で「月に祈るいのちのコンサート」に参加

★2005年

3月 伊勢市修道小学校の子どもたちが合唱祭で「三ツ星さん」を歌う、子どもたちは「伊勢の赤福とならぶ名物の浩三さんを知って」と手書き詩集をつくり、スーパーで配布

5月 横浜市 憲法集会でミニコンサート

8月 東京西荻窪と新横浜スペースオルタで第3回「骨のうたう、歌と詩の会」主催 朗読は西川亘

10月 横浜市長浜ホールで ピースコンサート (生活クラブ生協主催)

★2006年

8月 伊勢市いせトピアで「骨のうたう、歌と朗読の会」主催、記録CD制作

9月 横浜ZAIM セッション「市民メディアとアート」でミニコンサート

10月 三重県立戸高校の人権総合学習 「小園弥生と4人の生徒による、竹内浩三歌と朗読

の会」、体育館で行われる。初めての、高校生たちとのコラボレーション企画。

11月 横浜市 区民文化センター リリス ピースコンサート (生活クラブ生協主催)

12月  三重県伊勢市宮川中学校人権学習 体育館で歌う

★2007年

2月 新横浜スペースオルタ ピースコンサート

7月 横浜市福祉サービス協会組合のイベントで歌う(西川亘さんと)

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