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みんなの声~心のやりとり

■2000年

♪よばれもしないのに押しかけて「歌をきいていただく」という活動がスタートした。8月31日の会はふしぎな空間だった。今夜なぜここに来たのか、みんながいつのまにか自分を語っていた。浩三さんのお姉さんをはじめさまざまな人と出会い、人生の大先輩の方々の気をいただいて、私の歌づくり本能が回転しだした。歌をとどける旅のはじまり。。最初の企画者である友人の五月女ナオミさんに感謝する。11月に招待された三重県高校国語科研究会のイベントでは、何年たってもずっとこの活動を支えてくださっている伊勢市の森節子さんに出会った。

8.31三重県松阪市「“骨のうたう”をきいていただく会」を終えて

・本当に感激の一夜でございました。すぐにもお手紙をと思いながら、言葉も書けぬ思いでした。あのお声がいまも響いてきます。それにまた、鳩サブレ、私の大好物、うれしくいただきました。当夜の反応もすばらしいもので、お電話で感激のお声を数名からいただき、夕刊三重も65名(の参加)と取り上げてをります。(松島こう子)

・歌や朗読に、胸がしみる夕べでした。会を開いてくださってありがとう。

     当日見慣れない人がいすを並べていると思ったら、歌手本人とは・・・。マネージャーもなくこのような活動をよくなさいます。

     いまどき珍しい心の資本家。(!と思ってよくみたら「音楽家」だった。きゃー、達筆で・・・)

11.10

三重県青山町

・人口1万人ほどの小さな町のホールで、あのような心通じ合うコンサートをしてくださって感激でした。今思い出しても心に灯がともったようなきもちになります。ことばを声に出して、音にのせてあらわすことってこんなにすてきなことなんですね。(農業高校の生徒さんを引率してきてくれた先生のHさん。この日高校の野菜部(!)で生徒さんがつくった魔法のようにおいしいケチャップをいただきました

・浩三さんのお姉さんのラジオ出演の声がとても心にしみた。

(以下、高校生の感想)

     申し訳ないが、詩集を部屋で一人で読むほうがいい。(!いまに見ていろと思ったわたくし

     わたしは戦争についての学習とか重々しくてキライだ。まじで苦しい。でも、竹内姉が生きておられたのが、すごいびっくりした(会場からあいさつなさった)。詩にはリアルさがあった。

     2001年

♪この年は5月から8月までなんと7公演の旅をした。地元の横浜でも開催したところ、職場の同僚たちや親戚のおばさん、幼馴染まで動員?され、200人の会場は笑いにあふれた。

三重県伊勢
市の浩三さんの母校の高校のホールでも、同窓会の後援を得、浩三さんゆかりの方々のあたたかい空気の中で聴いていただくことができた。浩三さんの大親友だった中井利亮さんもいらしてくれ、翌日は二見海岸の中井さん宅をたずねていろいろお話をうかがったのも貴重な思い出だ。中井さんは翌年亡くなられた。奥さんで歌人の中井信子さんはたいへんなユーモア人で、今でもときどきお線香をあげにおしゃべりをしに寄らせていただいている。

一連の旅程のなかで応援してくださる方が増えていった。私は、“歌を作りながらビールばかり飲んでもいられまい”という気になってきた。浩三さんの歌は10曲に増えた。

三重県
の会場での感想より

     心にしみとおる素敵なコンサートでした。竹内浩三さんのたましいが伝わってきました。

     戦争を知らない子どもたちにも、学校などを回って、こんな語りや歌をきかせてほしい。

     ひょんと死ぬるや・・・。重いいのちがいともかんたんに消えてしまう戦争というもの。忘れないことが生きている者の使命でしょうか。

     中国大陸で8年間戦争を体験した父が一切語らなかった、その一端を(歌の後の)交流会で聞いた思いでした。

     父は昭和19年、戦死しました。くやしいです。が、今日は心がいやされました。

     「生きることは楽しいね」(“三つ星さん”の詩)と感じることができた。

     反戦の歌かと思っていたら、戦争に行ったひとりの青年の心情を歌った心温まるコンサートで、怒りより切ない気持ちになりました。とてもよかった。

     23歳の若さで亡くなられた竹内さんの姉君が会場に元気な姿を見せられ、弟さんの歌をみなさんに聴いていただく喜びを語られた。とても品のよい、きれいな方だ。

横浜会場での感想より

     “三つ星さん”の楽譜をありがとう。ピアノで弾いていたら子どもが「あ、みつぼしさんのうただー」と寄ってきました。なんか、メロディーと詩がすごくマッチしているよね。泣き笑いたくなるような気持ちの歌。(同僚より)

     コンサートお疲れ様でした。しっとりと手作りのいい時間をすごしました。竹内浩三という人物が半世紀以上前に、ときにまじめに、ときにふまじめに生きて死んだ。その気持ちを21世紀の今、物好きな女性があちこちに伝え歩いていて、物好きな観客が聞きに行き、さまざまな思いをはせる。とてもすてきなことですね。

浩三のユーモアセンスやとぼけた味わいはとても気に入っています。あの時代の生身の息遣いというようなものを感じ、戦争で死んでいった人々をいとおしく、身近に思います。(何度も大きな記事を書いてくれた、朝日新聞記者・上野創さん)

     2003年

一念発起し、声のレッスンを受け始めた。師匠は「五感の音楽家」の佐藤慶子さん。「自分の声を探すには年齢的にラストチャンス」といわれた。半年たってやっと人前で歌うのがこわくなくなり、思い切って西荻窪のライブハウス奇聞屋を借りた。松島新さんがスライドを映してくださった。器用な共演者・相馬正男さんはいつのまにか浩三さんの大写真パネルをつくってくれた。坂浦洋子さんの朗読とのコラボレーションは楽しかった。岩波現代文庫や藤原書店の編集者や、東京での浩三ファンの若者たちが小さな場に集まり、心のやりとりができた。私の中にまた小さな確実な灯りの種子がともった。

いただいた花束を抱えて、るんるんと家に帰ったら長女が「ママあんまりいい気にならないほうがいいよ」といった。次女は考案した“三つ星さん体操”をしていた。

     ライブの成功、ばんざーい。大きなホールとちがってライブハウスはとてもアットホームで交流ができてよかった。お客さんのひとりひとりが初対面でも親しみ感じるなあという感じでしたね。浩三好きな人には好感度高い人が多いですね。(森節子さん)

     こんなお金にもならないけれど自分たちの思いを寄せている空間があるのですね。

     小さな小さなライブハウスに40人ほどが集まった。子どもから老人まで、ことごとくよい顔をしていた。共通の友人を懐かしむような、そんなあたたかさがあった。互いの肩をくっつけながら、それぞれの想いを竹内の詩に乗せた。小園さんの笑顔の大きさには、だれをも励ます力があった。「三つ星さん」の詩が好きだという。

     浩三さんに想いを寄せる人たちにお会いできたこと、貴重な体験でした。岩波書店の方がおっしゃっていたように、私も浩三さんに恋心のようなものを抱いてしまうのです。小園さんが曲を作るのにも、そうですか?(いえ、私は自分の中に浩三さんと同質なものが流れているのを感じるのみです。そうとう変な人だと思います)

     「ぼくもいくさに征くのだけれど」の歌とピアノ、心の琴線にふれました。心熱くなるひとときでした。

     浩三さんの言葉は声に出すと響きがよいですね。「喋るように詩(手紙)を書いた」といわれていますが、コンサートを聴きながら、本当にその通りだと改めて思いました。フィリピン行きも含めて、取材のほうも佳境に入ってきたという感じです(稲泉連)

     バンマス(バンドマスター。うちでは小園さんをこう呼んでいる)は話芸も天下一品なのであった。私たちが気取りまくっていると、いきなり楽屋の幕を開け放って、その日までのことをドキュメントにして本人呵々としているのであった。おかげで女優を演じきるはずだった坂浦さんからは黄色い声が上がる。欲深い小園さんはいつか「歌だけ」でもみんなをうならせるにちがいない。楽しみにしている。バンマス、ガンバッテ。

(共演者・相馬正男さん)

秋には、なんとこのライブを録画したビデオが回りまわって

三重県
の高校の授業で使われていた。それを見た生徒さんから。

     「雨」という歌の「ざんござんごと雨がふる」というフレーズが耳についてはなれず、思わず口ずさんでいた。

     歌を聴いていて、竹内浩三の詩は音楽にぴったりで、まさに音楽によって私たちの心に熱く入ってくる感じがしました。浩三の詩は荷物で、音楽という列車に荷物を載せて、私たちの心という駅に荷物を持ってきてくれるのです。

     2004年

奇聞屋で2回目のライブを、昼夜2公演行った。ところが8/15という日は帰省する人も多く、集客できない。困っていたら朝日の上野創さんが稽古場に取材に来て、大きーな記事(写真)を書いてくれた。結果は完売。知らない方ばかり至近距離でみているので昼の部はあがってしまった。最前列のおじいさんが1曲聞いたら帰ってしまった。ああああ。。。道は遠し。

この年は文学座の俳優、田中明生さんに参加してもらうことができた。プロの方の作品に対する真摯な取り組み姿勢には脱帽した。「筑波日記」のダイジェストを作って、かけあいで朗読したり、歌も前年よりさらに増えたので二部構成にした結果、前半(じつは私はこのあたりの失恋の歌がいちばん好き)と後半の作品群がそれぞれ際立って、「後半はまるで映画をみているようでした」という感想もいただいた。相馬正男さんのハモニカや二胡もさえている。

Imgp1292_2 

     Imgp1323 黒澤プロダクションの野上照代さん(写真)が昼の部で、一緒に映画の仕事をしようと浩三さんの帰りを待ちわびていたというお話をされたのには感激でした。一流の方は気さくで、すてきですね。(森節子さん)

     小5の息子の夏休みの宿題に役立てばと戦争関連の記事を切り抜いていたところ、朝日新聞でこの会を知りました。竹内浩三さんの素朴な人柄にとても惹かれました。戦死した詩人の「骨の詩」を聞きに行くのだからやはり服は黒になどと考えていたので、最初の「三つ星さん」や「金がきたら」を聞き、びっくりして椅子から転げ落ちそうになりました。そこから浩三ワールドなのか小園ワールドなのか、すっかり惹きこまれ・・・。出口で本を買いました。私の中の<骨の声を聞く旅>は出発したばかりです。

     昨年はファンクラブ祭りみたいな感じもありましたが、今年は満員御礼、初めて聴く方々が多く、公演になっていました。素敵な場をいっそう大きくしてくれました。といっても、発信する側と受け取る側と思いはひとつで、すてきなライブだったと思います。

     2005年

26歳の稲泉連さんが『ぼくもいくさに征くのだけれど 竹内浩三の詩と死』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。帝国ホテルで開かれた受賞パーティには

三重県
からも松島さんをはじめみなさんが参加し、私たちもうれしくて大騒ぎした。「受賞のことば」より。「残された言葉は、彼に愛情を寄せる人たちの手から手へと受け渡されてきました。そのプロセスがあって初めて、1篇の詩が時代を超え自分のもとに届いた。だからこそ竹内浩三について書くことは、僕にとって言葉を伝えることや“表現すること”の大切さを学んでいく体験でもありました」と。

その稲泉さんにトークをしてもらって、この年の会は大いに締まった。また、朗読には坂浦洋子さん(演出でも力を発揮!)のほか、西川亘さんを迎えた。西川さんの朗読は浩三さんを地でいくようで、うなってしまった。NHKラジオで取り上げてくださった記者の佐治真規子さんもいつしか浩三ワールドにはまっており、にぎやかな夏だった。

     何も知らないで伺いましたが、会が進むにつれ、浩三さんの愛と情感がしみじみ伝わってきました。パンフレット裏の浩三さんの文と絵、サイコーですね。楽しい会でした。

     去年より惹き込まれました。西川亘さんの朗読は響きに訴求力がありました。

     前半は「麦」、後半は「南からの種子」と「骨のうたう」が印象的。今年はエンターテインメント性が高まっていた気がして楽しめました!  口笛も朗読も多彩な楽器もすてき。

     「骨のうたう」しか知らなくて来てしまった。けれど、第一部で天真爛漫な竹内浩三を、第二部であれよあれよと戦争に巻き込まれていって、その中で切に生きたいと願った彼の姿が朗読と歌で浮き上がった。学費欲しさに兵となってイラク戦争に征くことになった米兵の姿とも重なって切なくなった。

     西川さんの朗読、口笛・・・よかったですね。最後のほうで軽く声を合わせて歌っていたのもよかったです。・・・そうそう、私もプログラム、いいなあと思いました。戦艦長門見学の一こまを独立して抜き出し、ひょうきんな取り合わせが秀逸でした。内側の漫画もどこからひっぱってきたの? と思うようなかわいさでした!

     楽しかったです。竹内さんは面白い人ですね。詩もよいけど、らくがきイラストもかわいくて。「三ツ星さん」は最初とラストに聴いたので、メロディをちょろっとおぼえてしまいました。

     稲泉さんの話を直接聞けたことで、あの本を彼と同年齢の娘にも読ませたいと思った。浩三さんのお姉さんの短歌、しみじみと胸にしみた。

     稲泉連さんとの対談、秀逸でした。また来年も楽しみにしています。

     構成が自然なのがいいです。しんどい詩が「骨」ですが、楽しい催しでした。連さんの話と後半の盛り上がり、皆さんの気の合いよう、気持ちよかった。

     NHKラジオでいたく感じた連れは、「こういうのはなかなか聞けないわね。何か温かくってよかったわ」でした。そう、うまいとかどうとかではなくて、何か人間の呼吸が聞こえる音楽会ではあったかなと、小生も内心思いました。今日二人、ファンが増えました。ご健闘を祈念!        

     とにかく感動しました、涙をこらえるのに、苦労しました。でも止まらなかった。。。今度ライブがある時は、ウチの母も連れて行きたいと思います。

     今年もまた、曲よし、ピアノ演奏よし、朗読よし、小園さんの軽妙なお話もよし。そして今回とくに構成がよいと思いました。稲泉連さんのお話も。竹内浩三の無垢なところと鋭い先見性の両面に胸が打たれました。乾杯!

     2006年

高校の体育館で、高校生の朗読とのコラボレーションを企画、実現し、意味合いが広がった。M先生の尽力のおかげだった。生徒たちはよく聴いていた。なにしろ終わってすぐ駆け寄ってきて朗読した子に「おまえ、まちごうとったぞ“生殖もしたかったの”いうたやろ。」という。正しくは“生殖もしなかったの”である(詩「冬に死す」)。わはは。授業で事前学習もされているのだ。すばらしい。そのあと、中学からも人権学習ということでよばれた。体育館がつづく。300人なんて、自前ではとても集められない人数だ。若い人たちにじゃんじゃん歌をとどけよう。

8/15には

伊勢市
で西川さん、相馬さんとの共演で行った。松島さんがお元気であいさつされ、地元の中学生(松下美智子先生の教え子たち)が「三つ星さん」を最後に歌ったのをたいへん喜んでくださった。場をつくるのは楽しい。全部で2時間半の欲張り企画だった。このときの録音を初めてCDにした。

蛇足だが、三重県産のあわび炊き込みご飯の素(1000円)、伊勢海老風味インスタントみそ汁はおいしい。

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(高校生の感想より)

     戦争に行かなければならないという恐怖と、自由へのあこがれを強く感じた。  

     少し変わった人だったんだな。

・ 戦争のせいで竹内さんのような未来ある若者の命がたくさんなくなったのかと思うと悲しい。これからも、こういう形で、次の世代の人へ続いていくといいと思います。  ・もっと詩を知りたい。

     竹内浩三さんの詩は、内容が真っ直ぐで、わかりやすくてすごく良いと思った。

     自分たちと歳もそんなに変わらないのに、いろんなことを考えているんだなあ。

     戦争中でも、自分の思いを表現していたというのはすごいと思う。生きることの喜びを、これらの詩によって、少しは感じることができた。

     自分のやりたいこともできずに、戦争に行かされた竹内さんは無念だったと思う。もっとやりたいことをどんどんできるような社会にしていかなければ、戦争していたときと何も変わらないと思った。

     詩とか絵を描くのが好きなんだなぁと思った。恋愛の詩…ってか、女の人がよく詩に出てきてて、あぁなんかひきずってるのかな、と思いました。「あきらめろと言うが」は切なくて、好きだと思った。

     歌の内容に共感を持つ部分がすごくあった。

     ピアノがとてもきれいだった。4人の生徒の朗読がひとつひとつ気持ちが入っていてすてきだった。(友達の)ふだんは見られない姿が見られてよかった。

     今までにない人権学習だった。

     弾き語りをしている人は楽しそうで、本当に竹内さんのことを好きなのだなあと思った。

     悲しいときも苦しいときでも詩のことを考えて、そう、彼は詩、歌が心から好きと思っていたんじゃないかな? 自分も、どんなときでも忘れない大切なものがほしいと思った。

ちなみに、「印象に残った歌や文」でベスト5は次のとおりです。

1位 「三つ星さん」79

2位 「金がきたら」53

3位 「骨のうたう」47

4位 「うたうたいは」26

5位 「雨」18

(6位に、生徒さん朗読の「筑波日記」15票、でした。)

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