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生きのびるための歌

 子どもの頃から、道の真ん中歩きながら歌をつくるのが好きだった。家にはピアノなんてなく、代わりにちゃぶ台を叩いていた。1960年代の終わる頃。

詩を書くのも好きだった。なにか感じると、それを記録したいと願った。書くことはちょっと苦しい。けれど音は楽しいものだった。言葉と音がぴったり合うと、うれしかった。中学のとき、夏休みの自由課題で初めて歌を書き、体育館で全校生徒の前で弾き語りした。昔から心臓に毛が生えていた?

そんな自分の習性を大人になって忘れていたが、この「歌を届ける旅」を2000年に始めてからは思い出してしまってとまらない。どんどん歌は増殖していく。トントン拍子で波に乗り、自主企画も次々行い、新聞に掲載され、またそれを見た人が招いてくださり。。。

そうしてあるとき、私はいきづまって力を失い、来る日も来る日もぼんやりと漂っていた。苦しい季節だった。自分を棚下ろしつつその季節を抜けかけたとき、内側から今度は自分自身のことばと音が同時に出てきてうたになり、驚いた。自分を励ますために、私は毎日道を歩きながら呪文のようにうたをつぶやき続けた。生み続けた。そしてなんとか生きのびた。そうしたら人に聴いてもらいたい、という気持ちがむくむくとわいてきた。「話を聞いてよ」というのはふつうだが、「ねぇ、お願いだからうたをきいてよ」という私にいやな顔せず付き合ってくれた友人たちに、謹んで感謝する。その完全自作のシリーズを最近では「うたをつぶやく旅」と名づけ、ときたま人に聴いていただいている。「聴いてくれる人がボランティア」でなければよいがと祈りつつ。

2006122_zaim 「届ける旅」「つぶやく旅」、どちらも私にとっては、かけがえのないものだ。

「ストリート婆のうた」という自作を、コンサートの日に近所のいきつけの美容院で髪を編んでもらいながら歌ったら、美容師さんが「そのうた、涙出てくる」といってコンサートに来てくれたことがあった。敬愛する自助グループNABAのうた「たましいのかぞく」(2001)の曲を書いてから、自助グループの集まりでも聴いていただく機会が増えた。なぜかそこでも会場で泣いている人に出会い、びっくりする。生きることはいとしい、かなしい、だから人に出会えてうれしい。そう思っている。私自身生きるのにうたが必要だから、人が1日生きのびるのにも役に立てたらほんとにうれしい。うたも喜ぶことだろう。

そんなうたは自分の中からだけ出てくるのではとうていなくて、人の語る話や声を聞いていてうたを感じることもあれば、働く人の緊張したしぐさに無言のうたやエロスを感じることもある。大きな木を打つ雨のうたを聴くこともあれば、緑の風のうたを聴くこともある。そういう生きた美しいものをすくいとって、秘湯のお湯のようなうたをつくりたい。つかるとじわっと長くあったまれるような。

あるとき「あなたのうたは、けれん味がなくていいですね」といってくれた人がいた。辞書を引いたら「媚びへつらいがない」という意味だった。そう、浩三さんの詩にはひとかけらもそれがない。媚びへつらって生きていかねばならない世の中でじたばたするにんげんは、自分は、おかしいね。

自分の尊厳を守ることが難しくない時代など、かつてあっただろうか。うたうことは楽しむこと、そしてぎりぎりのところでもちこたえているいのちに風を吹き込むこと。ひとびとのなかで。そう思っている。

★2004年、NABAのなかまと小野のん子さんと敢行した「やっかいな夜会」

★2006年、ウィメンズ・ネットワーキング・バー“はる美”の2周年で企画参加させていただいた「歌をつぶやく旅」

★2007年「くわぁいだん in ZAIM」のなかまと声をさがす旅の師匠の佐藤慶子さん

それぞれの旅するみなさまに力をいただき、謹んで感謝申し上げます・・・

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